ヴァルデマール・ビルイェルソン(英語: Waldemar; スウェーデン語: Valdemar Birgersson; 1239年 - 1302年12月26日)は、フォルクング朝最初のスウェーデン王(ヴァルデマール1世、1250年 - 1275年)。 

生涯

ヴァルデマールはフォルクング家のビルイェル・ヤールとインゲボリ・エリクスドッテルの間に生まれた。母方の叔父エリク11世治下の1248年からヴァルデマールの時代にかけて、ビルイェル・ヤールが摂政として事実上スウェーデンを支配していた。母インゲボリは、エリク10世とデンマーク王の娘の間の王女だった。

1250年にエリク11世が死去すると、ヴァルデマールはスウェーデン王に選ばれ、翌年にリンシェーピング大聖堂で戴冠した。しかし国政は完全に父ビルイェル・ヤールに握られていた。ビルイェル・ヤールが1266年に死去すると、今度は弟のセーデルマンランド公マグヌス・ビルイェルソンとの王位をめぐる争いが起こる。

1260年、ヴァルデマール1世はデンマーク王エーリク4世の長女ソフィアと結婚した。一方でその妹のユッタとも関係を持っており、彼女は1272年にスウェーデンにわたり王の愛人となった。しかしローマ教皇に破門をちらつかされ、翌1273年にはユッタを修道院に送り、赦免を乞うためローマ巡礼せざるを得なくなった。

1275年6月14日、ヴァルデマール1世はホヴァの戦いで弟マグヌスに敗れ、王位を奪われた。マグヌスは兄弟のスモーランド公エリク・ビルイェルソンやデンマーク王エーリク5世の支援を受け、デンマーク人の戦士を率いていた。マグヌスはマグヌス3世として即位した。

1277年、妻のソフィアは祖国デンマークへ帰された。同年、ヴァルデマールはイェータランドを手に入れようと試みイェータランド公を名乗ったが、翌年にマグヌス3世に奪還された。1288年、マグヌス3世によってニュヒェーピング城に軟禁されたが環境は悪くなく、ヴァルデマールはそこで公然と愛人を囲って1302年に死去するまでの余生を送った。

家族

ヴァルデマールはソフィアと1260年に結婚し6人の子供をもうけたが、1277年に離婚した。

  1. インゲボリ - ホルシュタイン公ゲルハルト2世妃
  2. エリク(1272年 - 1330年)
  3. マリーナ - ディープホルツ伯ルドルフ妃
  4. リキッサ(1292年没) - ポーランド王プシェミスウ2世妃
  5. カタリーナ(1283年没)
  6. マルガレータ - 修道女

脚注

参考文献

  • Adolfsson, Mats När borgarna brann - svenska uppror (Stockholm: Natur & Kultur, 2007)
  • Larsson, Mats G. Götarnas Riken : Upptäcktsfärder Till Sveriges Enande (Bokförlaget Atlantis AB. 2002) ISBN 978-91-7486-641-4
  • Kyhlberg, Ola Gånget ut min hand (Riddarholmskyrkans stiftargravar Kungl. Vitterhets Historie och Antikvitets Akademien, Stockholm: 1997)
  • Schück, Herman Kyrka och rike - från folkungatid till vasatid (Stockholm: 2005)

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