ジョン・アンソニー・フランコJohn Anthony Franco, 1960年9月17日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ブルックリン出身の元プロ野球選手(投手)。

経歴

かつてドジャースが本拠地を置いたブルックリンの出身で、セント・ジョーンズ大学を卒業後、1981年のMLBドラフト5巡目(全体125位)でロサンゼルス・ドジャースに指名され契約する。

1983年5月9日にシンシナティ・レッズに移籍。

1984年4月24日にメジャー初登板を果たす。同年は主にセットアッパーとして54試合に登板。

1985年には67試合の登板で12勝3敗12セーブを記録。

1986年にはクローザーとして起用され、29セーブを記録する。秋には日米野球で来日し、NHKのスポーツ番組に出演した際には決め球のスクリューボールの握りと投げ方を解説していた。

1988年には39セーブを記録し、最多セーブのタイトルを獲得。この間、チームは1985年から1988年まで4年連続2位だったが、その好成績に大きく貢献した。

1989年オフに、ドン・ブラウンとともにランディ・マイヤーズ、キップ・グロス(のち日本ハム入り)との交換トレードで、生まれ故郷のニューヨーク・メッツに移籍。

1990年には33セーブを記録して2度目の最多セーブを獲得。その後も安定した活躍を続ける。

1999年に抑えをアーマンド・ベニテスと配置転換され、セットアッパーとなる。

2000年にはヤンキースとのワールドシリーズにも登板。

2001年にはメッツのチームキャプテンに任命される(2004年まで務める)。

2002年は故障のため全休した。

2003年に43歳で復帰し、同年は38試合に登板して0勝3敗も、防御率は2.62で、2年ぶりにセーブも記録した。

2004年限りでメッツとの契約を解除された。

2005年にはヒューストン・アストロズと契約する。その時点で現役最高齢投手となる。7月2日に解雇された。

選手としての特徴

詳細情報

年度別投手成績

  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

タイトル

  • 最多セーブ投手:3回(1988年、1990年、1994年)
  • 最優秀救援投手:3回(1988年、1990年、1994年)

表彰

  • ローレイズ・リリーフマン賞:2回(1988年、1990年)
  • ピッチャー・オブ・ザ・マンス:1回(1988年7月)
  • ルー・ゲーリッグ賞:1回(2001年)

記録

  • MLBオールスターゲーム選出:4回(1986年、1987年、1989年、1990年)
  • 通算424セーブ(歴代7位、左腕投手では歴代1位)
  • 通算1119試合登板(歴代3位)

諸記録

メジャー通算424セーブはMLB歴代7位(2024年終了時点)。通算登板1119はジェシー・オロスコ(1251試合)、マイク・スタントン(1178試合)に次いで第3位だが、フランコは先発登板がなく、「1試合も先発登板のない投手」に限れば歴代1位である(オロスコは4試合、スタントンは1試合の先発登板がある)。交代完了774はMLB歴代2位。キャリアが一貫してナ・リーグであったため、通算1119試合登板はナ・リーグ記録である。メッツで記録した登板695、セーブ276、交代完了484はいずれもメッツのチーム歴代記録。

背番号

  • 52(1984年 - 同年途中)
  • 31(1984年途中 - 1998年途中、2005年)
  • 45(1998年途中 - 2001年、2003年 - 2004年)

関連項目

  • メジャーリーグベースボールの選手一覧

外部リンク

  • 選手の通算成績と情報 ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)

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