蜂須賀 隆芳(はちすか たかよし、1831年(天保2年7月3日) - ?)は、幕末の徳島藩公族(一門)。忌部神社の宮司。正室は蜂須賀休栄の娘である艶姫。幼名は規三郎、和泉。通称は久之丞。
実子に蜂須賀茂韶の正室・斐姫と鷹司輔政の正室・蜂須賀倫子がいる。
生涯
公族蜂須賀昭順(蜂須賀治昭の三男)の子として誕生。母は佐藤氏。公族蜂須賀休栄の娘艶姫の婿となり、跡を継ぐ。1875年(明治8年)、忌部神社の宮司に任命せさる。
1877年(明治10年)、池田昌豊と共に壮兵(旧藩士出身の志願兵)を1500人組織したことで政府から賞された。
脚注




