関口 慎吾(せきぐち しんご、1918年2月25日 - 1945年2月18日)は、日本の将棋棋士。斎藤銀次郎八段門下、六段(贈七段)。

経歴

東京府東京市下谷区(現在の東京都台東区下谷)出身。

当時相撲の双葉山と並んで称された木村義雄に憧れ、将棋棋士を目指して斎藤銀次郎に入門。

升田幸三、大山康晴らと並んで称されたが、太平洋戦争時に「生きて帰れぬニューギニア」といわれたニューギニア島に衛生兵として出兵し、イドレで「マラリア兼戦争栄養失調」で亡くなった。墓は東京都台東区の静蓮寺に存在する。

エピソード

2017年に昭和史研究者の保阪正康が関口について「生きて帰っていれば将棋界を変えた天才」であったと紹介した一文が毎日新聞に掲載され、2018年から2019年にかけて『将棋世界』誌で戦史研究家の渡辺大助による関口の評伝が連載された。

横浜冷凍代表取締役会長の吉川俊雄は関口の甥に当たる。

脚注

関連項目

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